行政デジタル化の本音シリーズ ーjGrants編
経済産業省におけるDXの取り組みをレポートする本シリーズ。第1弾は、事業者向けの補助金申請システムjGrants(以下、Jグランツ)開発の舞台裏を取り上げます。2021年3月22日に最新版がリリースされたJグランツ2.0は、9府省庁20自治体、計400以上の補助金で今後導入が計画され(2021年5月11時点見込み)、コロナ禍で注目が集まっているものづくり補助金、持続化補助金、事業再構築補助金などで活用されています。開発に携わったデジタル化推進マネージャーの宮部麻里子さん(当時)、稲垣貴則さん、横倉裕幸さんに、開発プロジェクトを通じて得た知見や今後の展開について聞きました。
1.なぜ民間から経済産業省へ転職したのか?
――デジタル化推進マネージャーの皆さんは、省庁の行政官や、開発・運用を行うIT企業と連携してJグランツの開発プロジェクトを進められています。まずは民間企業から経済産業省へ転職した経緯を聞かせてください。
宮部 2018年7月に入省しました。もともと大手電力会社のシステム子会社に18年在籍し、サーバー、ネットワーク環境構築などインフラ系のエンジニアとして従事してきました。将来のキャリアを考え始めた時ちょうど、経済産業省が行政のデジタル化に向けた新たなチャレンジを始めることを知り、行政分野の経験はなかったもののやりがいがあって面白そうだと思い応募しました。着任当初は法人共通認証基盤「GビズID」のプロダクトも担当していました。Jグランツのプロジェクトが佳境に入った2019年9月からはこちらの専任となりました。
(当時)デジタル化推進マネージャー 宮部麻里子さん
稲垣 私が入省した時期は2019年7月でした。もともと大手旅行会社でエンジニアとして基幹システムやWebアプリケーション、インフラ構築に携わり、プロジェクトマネージャーなどを数多く担当しました。その後、大手ITサービス企業に転職しキャリアを重ねましたが、経済産業省が発表したDXレポートに記された「ITシステム2025年の崖」の内容を見て、日本のデジタル化は世界から見るとかなり周回遅れなんだ、と知りました。
この崖を乗り越えるのにこれまで培った経験やスキルが通用するかどうか試してみたい、と思ったのが応募の動機です。入省後はデータ連携プラットフォームやデータの品質向上に向けた整備などに携わり、2019年9月にJグランツ開発プロジェクトの一員に加わりました。
デジタル化推進マネージャー 稲垣貴則さん
横倉 システム会社でJavaプログラマーからエンジニアとしてのキャリアをスタートさせました。PMOなどを経験しながら14年間ほどキャリアを積み、その後不動産業界に転職しました。そこで基幹システムの刷新やBPR、また不動産取引サービスに関する情報プラットフォーム開発のプロジェクトマネージャーなどを務めました。
次のステップアップを考える中で経済産業省の募集を目にし、行政のデジタル化に携われる滅多にないチャンスだと思い応募しました。2020年10月からJグランツ2.0の開発に参加しています。開発事業者から受け取ったプロダクトの受入テストを行い、最終的なリリースに向けた準備を進めています。
デジタル化推進マネージャー 横倉裕幸さん
2.ダメ出しを食らったJグランツ1.0
Jグランツは、事業者の経営を支援する補助金が適正に活用されることを定めた補助金適正化法という法律に基づいた手続を行うためのサービスです。経済産業省だけでなく、さまざまな省庁、自治体の申請業務を電子化する汎用的なシステムを目指して開発が進められました。
補助金を申請する事業者(申請事業者)は法人行政手続の共通認証基盤であるGビズIDでログインすることで、役所へ書類を提出する時間・コストを抑えてオンライン上でいつでも申請でき、事業の進捗状況もJグランツ上で随時確認することができます。一方、行政・事務局もオンライン上で補助金申請フォームを作成し、申請状況を一元管理することで業務の効率化につながります。
―― まずは、Jグランツ1.0の開発に当初から関わった宮部さんに伺います。プロジェクトの立ち上がりはどのような感じでしたか。
宮部 Jグランツの開発事業は2018年7月に開始されました。当時、経済産業大臣と実際にJグランツの利用者となり得る中小・ベンチャー企業の方に向けJグランツというプロダクトについてレクチャーする機会があったのですが、集まった方々の雰囲気からも期待の大きさが伝わってきました。Jグランツは他省庁に先駆ける行政デジタル化のシンボル的なプロジェクト、という位置付けで関係者からのプレッシャーをひしひしと感じたことを覚えています。
紙を使わず、初めてiPadで大臣レクを行った際の様子
Jグランツ1.0のプロトタイプがプロジェクト開始から半年後、2019年3月末に完成しました。同年5、6月にユーザーテストを受けます。しかし、補助金行政を担当する省庁や自治体の事務局担当者から上がってきたのは、厳しい声でした。
―― ユーザーテストではどんなことを言われましたか。
宮部 補助金申請の審査業務を担う事務局からは「必要な機能が不足して、これでは使えない」「審査の外部連携や予算の進捗管理、シミュレーションなど、我々にとっての重要な機能が揃っていない」といった厳しい声を多数いただきました。
―― なぜユーザー側と溝ができたのでしょうか。
宮部 Jグランツ1.0ではさまざまな申請業務に対応する汎用的なプラットフォームを方針に掲げていたのですが、補助金手続は制度ごとに細かな要件の違いや固有の業務フローがあり、どのように実装面で吸収するべきか、仕様決めの段階で行政側・開発側の意見がなかなかまとまりませんでした。とはいえ、2020年明けから始まる省庁向けの補助金募集に合わせてJグランツ1.0を2019 年中にリリースする予定は動かせない。
そこでプロトタイプでは、事業者の認証、補助金の申請、交付、支払といった骨格となる業務フローに絞って対応・リリースしました。ですが、やはりそれでは複雑な業務ニーズを受け止め切れず、現場では価値を感じてもらえなかったという事です。
ただ、この時に得られた現場の「生の声」は、Jグランツ2.0開発に向けての大きな財産となりました。
稲垣 私がジョインしたのは、2019年12月にリリースされるJグランツ1.0の開発・テストが大詰めの時期でした。ユーザーテストのフィードバックに基づいてどうアップデートするか、プロジェクトを立て直すか、という差し迫った状況でした。当時を振り返ると、ゼロから作りあげるJグランツとはいえ、ステークホルダーマネジメントが十分ではなかったなと思います。
つまりPoC (概念実証)は実施していたもののそれぞれの行政官が思い描く目指す姿が今ひとつ揃っていないな、という印象がありました。また、入札で選ばれた開発事業者も力量やアジャイル開発への経験値が異なります。ただ良かった点は、プロジェクトの進め方など私たちデジタル化推進マネージャーの提案を柔軟に受け入れてくれる懐の深さがプロジェクト全体にあったことです。
「カタイ」と思われる行政機関の中で、少なくとも経済産業省のDX室はかなり前向きにチャレンジするところだなと思いました。いまもその思いは変わっていませんね。
3.Jグランツ2.0ではアーキテクチャを見直して汎用性を追求
紆余曲折を経てJグランツ1.0は2019年12月にリリース。その後、官庁や自治体から補助金申請の公募が始まりましたが、活用の割合は伸び悩みました。そして翌年度の2020年6月に、Jグランツ2.0の開発がスタートしました。スプリントと呼ばれる1-2週間のサイクルを繰り返しながら機能を実装し、「使えるシステム」になっていることを確認しながら開発は進みました。
――Jグランツ1.0と2.0の大きな違いはどこにあるのでしょうか。
宮部 Jグランツ1.0はさまざまな制約条件から結果的にシンプルな申請業務フローのみに対応しましたが、Jグランツ2.0は本来目指していた、各行政機関でさまざまな申請業務を作成できる自由度と汎用性を持たせました。「こちらが定めたフローで仕事を進めてください」と決めつけず、さまざまなフローに対応させることができます。
Jグランツ2.0では、補助金制度を運用する事務局の担当者が管理画面から、制度に沿った手続を登録することができます。例えば受付事務を行う人が申請を「受け付ける」ボタンを押すと、次に「確認する」や「差し戻しをする」というボタンが現れる、といった設定を行うことができます。手順に沿って進めると業務フローに沿った一連の補助金の申請画面・審査画面が完成する流れです。
稲垣 Jグランツ2.0では、レガシーシステムを含めた、外部との連携を重視しました。当初Jグランツ2.0についてベンダーに説明したところ、システムのアーキテクチャについては「SaaSで全部できるんじゃないか」ということでSaaSベースの提案がベンダーから出ていたのですが、Jグランツの目指す汎用性や発展性に合致しないだろう、と見直しました。APIを介した疎結合での外部連携を考えて、SaaSだけでなくPaaS、IPaaS(Integration Platform as a PaaS)という3つのレイヤー(層)に分け構想を形にしていったという経緯があります。
2020年11月、Jグランツを利用する中央官庁、自治体を含めた計540名、116の補助金事務局が参加するユーザーテストを2週間かけて実施しました。参加した中央官庁は経済産業省や環境省、国土交通省など8省庁、自治体は東京都、大分県、山口県など9都県です。ここで出た214件の声が開発側にフィードバックされました。
――Jグランツ2.0のテスト版について行政・事務局の皆さんの反応はいかがでしたか。
宮部 Jグランツ1.0の時と異なり、「使ってみたい」という事務局の方々の前向きな反応が伝わってきました。「この画面はもう少しこうした方がいい」「こういう機能があるとありがたい」といった建設的な指摘や意見をたくさんもらえました。開発プロジェクトチームは、いただいた214件の声を分析・整理し、優先度の高いものから機能を追加しました。今回取り込み切れなかった声も、今後改善サイクルを回していく中で順次取り込んでいきたいと考えています。
4.DXとはユーザーと一緒にプロダクトを成長させていくこと
―― ここからは2020年10月からプロジェクトに参画した横倉さんにも加わってもらいます。今後Jグランツはどういうふうに発展させていく考えですか。
横倉 1つは民間サービスとのデータ連携です。事業者が補助金を申請する際、わざわざJグランツのサイトにアクセスしなくても、システムのAPIを開放して企業各社が提供するパッケージシステムやSaaSと連携すれば、さまざまな接点から申請が可能になります。情報発信という点で、事業者の経営に役立つ補助金制度を広く周知する機会を増やすことにもなります。
(平成30年11月27日第4回行政手続部会 資料1-1 補助金申請システムの検討状況について(経済産業省)より)
もう1つは、補助金申請に関するさまざまなデータ分析や政策立案などへの活用です。税を原資とする補助金制度がどれくらい事業者を支援して、どの程度の経済効果をもたらしたのか。よく使われた補助金はどれで、使われなかった補助金はどれか、などデータ分析による効果測定が期待されています。
さらに、補助金の適正な利用における監査やコンプライアンスの面では、申請事業者審査時の経営状況を分析、可視化するスコアリングが役立つはずです。このように、よりよいサービスを実現していくうえで、データは「宝箱」だと考えています。
https://www.jgrants-portal.go.jp/secretariat-hoper
稲垣 横倉さんが指摘されたエコシステムの形成は重要だと考えています。行政機関だけではなく、民間企業など他のシステムや組織と連携させていくことで、新たなサービスが生まれて、経済・社会に活力を与える。そこで得られるさまざまなデータをJグランツに蓄積し、またそれを使えるデータとして提供していく。そういうエコシステムが社会全体に拡がればと思います。
横倉 また今後Jグランツのユーザーが順調に増えていった場合に、バックオフィス側の職員の事務量も増えていきます。職員が対応できる事務量は当然ながら限りがあります。その課題を乗り越えるためにはバックオフィス業務の刷新に向けたBPR、業務改革が必要になることは避けられません。民間での経験を活用できればと考えています。
宮部 進化し続けるJグランツに完成形はないんじゃないかな、と思います。申請事業者、行政・事務局など、ユーザーと一緒に成長させていくことが大切だと考えています。ユーザーの声をしっかり聞き、課題をつかみ、優先度をつけて対応していく。Jグランツだけでなく、経産省、さらに政府全体でデジタルトランスフォーメーション(DX)の取り組みが進んでいますが、今日お話ししたJグランツのプロジェクトで私たちが経験したことを思い出してくれるとありがたいですね。
新しいチャレンジでは何らかの「壁」や「崖」に直面します。そのときの挫折や気づきをバネにして進むこと。ユーザーとともに成長し続けるJグランツは行政手続のDXの「一丁目一番地」。これからの進化にもぜひご注目ください。