ローコード開発ツールは行政デジタル化の救世主となるか
経済産業省におけるDXの取り組みをレポートする本シリーズ。今回は、数ある中小規模の行政手続を、迅速かつ効率よくオンラインサービス化する取り組みをフォーカスします。いま話題のローコード開発ツールを活用したオンライン手続プラットフォーム「gBizFORM」(以下、Gビズフォーム)の導入・定着と、職員主体の開発・運用体制づくりを支援するデジタル化推進マネージャーの早川香織さん、石井俊光さん、長田将士さんの3人に話を聞きました。
1.入省までのキャリア
――まずは前職での業務内容と経済産業省で取り組まれていることを教えてください。
早川 入省は2020年7月です。前職は民間IT企業で12年間、主にBtoBのシステム開発に携わってきました。プログラマーからスタートし、製造業向けの新規IoTソリューション立ち上げのプロジェクトマネージャーなどに従事してきましたが、ITサービスは限られた人だけのものではなく、誰もが利用してメリットを受けられる世の中になればいいな、そこに自身のキャリアで何か貢献できないかな、という思いがずっとありました。
そんな時に、デジタル化推進マネージャーの募集を知り行政でチャレンジするのもよい機会かもしれないと応募しました。いまは省内の膨大な種類の行政手続をデジタル化するため、Gビズフォームをはじめとした、いくつかのフロントサービスプロダクトを担当しています。
デジタル化推進マネージャー 早川香織さん
石井 私も早川さんと同じく2020年7月に経済産業省に転職してきました。前職は食品メーカーで社内システムやWebサイトの開発・整備、DX推進などを手がけてきました。Gビズフォームでは、申請する事業者と行政側がアプリやWebポータルを接点にやりとりします。私は省内職員の業務環境であるバックオフィス側のDX推進を支援しています。前職までの経験を活かしながら省内の情報システム企画・運用部門、外部の開発パートナーの方々と一緒に取り組んでいます。
デジタル化推進マネージャー 石井俊光さん
長田 私は2人のほぼ半年後、2021年1月に入省しました。前職の大手IT企業に約13年、システムエンジニアやシステムアーキテクトとして官公庁のITプロジェクトに数多く関わってきました。前職では、マイナンバーカードを健康保険証として利用できるオンライン資格確認関連のシステム開発を担当していました。デジタル化推進マネージャーとしてこれまで培った技術力を活かし、国のDX推進に少しでも貢献したいと考えています。現在はGビズフォームでのシステム開発や省内への利用定着を図る支援を行なっています。
デジタル化推進マネージャー 長田将士さん
2.もう「事業者任せ」や「丸投げ」はしない
経済産業省では事業者を支援するさまざまな施策を執行しています。政府全体で約58000種類ある行政手続のうち、実は98%が年間手続件数10万件以下の中小規模手続です。これらは取扱件数が少ないとはいえ、いずれも国民・事業者にとって重要な手続です。しかし1つ1つをシステム化するのはコストパフォーマンスが悪く、その開発と保守運用の効率化がDX推進において求められていました。
―― 通常、行政のシステム開発はどのように進められているのでしょうか。
早川 システム要件にもよりますが、一般的には、調達、要件定義、設計・開発、テスト、リリースと通常のウォーターフォールモデルでの開発を行います。政府調達は単年度事業がほとんどで、事業期間は半年から1年程度です。また政府によるIT調達は入札が前提となっており、その調達プロセスは数か月と長く、行政職員の業務量も膨大になっています。
こうした従来のシステム開発のやり方で行政手続を迅速にオンライン化するには限界があります。そこで私たちが進めているのは、省内の職員が「自分たちが業務で使うITプラットフォームを自分たちで管理し、中小規模の行政手続は事業者任せにせず自分たちでつくっていく」というやり方です。すでに2018年頃から経済産業省内ではローコードツールの実証・調査を行っておりましたが、2020年にGビズフォームとして行政手続の申請受付を開始しました。
Gビズフォーム Webポータルサイト(https://form.gbiz.go.jp/)
Gビズフォームとは、GUIを用いて簡単にプログラム開発を行うことができるローコード・ノーコード開発ツール(以下、ローコードツール)を活用したオンライン行政手続プラットフォームの名称です。申請する事業者の方は、ポータルサイトから法人共通認証基盤「GビズID」のアカウントを使ってログインしていただける仕組みにしており、煩雑な書類作成や本人確認書類提出の負担を減らして必要な届出・申請や許認可処理が迅速に行えるのが特長です。
そんな行政手続の1つが「後援名義申請システム」です。イベント主催団体などが、経済産業省の後援を受けたい場合に申請するための手続で、2020年2月からオンライン上で申請から施行通知までの処理が完結できるようになりました。申請する団体側も、受付する経産省職員側もどちらもこのGビズフォーム上の画面を操作することで手続が完結します。
手続申請者向け「後援名義申請システム」のページ
省内職員向け「後援名義申請受付システム」の画面
3.ローコードツールを使えば最短2週間でアプリ開発できることを実感
Gビズフォームでのアプリ開発にはローコードツールのMicrosoft社のPower Appsが使われています。既存の手続様式に基づいてWebポータル画面にフォームを作成したり、Excelファイルのデータをもとにプログラミング言語を用いることなく業務アプリを開発できます。
―― ローコードツールでどれくらい生産性が向上するのですか。
早川 現時点ではPower Appsを熟知した事業者に開発をして頂いていますが、従来の開発手順だと半年から1年程度がかかる設計からリリースまでの期間が、最短で2〜4週間程度で済みます。「申請→受付→審査→承認(差し戻し)→施行通知」といった基本的な行政手続での業務フローを対象に、2020年度は8つの行政手続をデジタル化しました。
通常の行政でのシステム開発とGビズフォーム開発とのプロセス比較
―― すると58000種類の行政手続のすべてを、ローコードツールでデジタル化できるのでしょうか。
早川 それは難しいですね。なぜならローコードツールでの開発に適した手続と適さない手続があるからです。向いているのは、比較的シンプルなデータ構造・ワークフローで、ある程度システムの制限に合わせてBPR(Business Process Re-engineering)できる手続です。苦手なのはその逆で、規模が大きく複雑な階層構造のデータや多段階ワークフローが必要な手続、あるいは期待・要求する動作に対して一歩も妥協できないようなケースです。
ローコードツールは、コーディングしなくて済む、早い、というメリットがある一方で、実現できる事には限界があります。それは見た目や操作性、機能面などいろいろです。ただ我々がターゲットとしている中小規模手続の多くが前者のシンプルなものと見込んでおり、期待される時間やコストの節減効果は相当大きいと見積もっています。
4.ITプラットフォームとプロジェクトをユーザー側の手中に収める
―― ゆくゆくは省内の職員全員が「開発エンジニア」になっていくのでしょうか?
石井 それは現実的ではないと思っています。「内製」という言葉がありますが、私たちが進めているのは、職員全員にITシステムの開発・保守運用の隅々まで全部担っていただくことではありません。大切なことは、外部に委託する開発・運用パートナーと役割を分担しながら、自分たちでプロダクトおよび開発プロジェクトをグリップし、コントロールする。いわば、ITプラットフォームの「手の内(うち)」化を目指す、ということです。
もちろん、いざとなれば、自分たちでも開発できるよ、という状況が望ましいですがスキルアップや人材育成は一朝一夕にいくものではありません。まずは「ITの手の内化」を進めるために体制づくりを進めているところです。今後は体制づくりの一環として、2021年度中にGビズフォームを省内で保守運用できるCoE(Center of Excellence)の立ち上げを目指します。
CoEというのはGビズフォームでの運用管理を統括するチームです。具体的にはクラウド環境をベースとするローコードツールの利用環境の管理、開発・運用するアプリ資産のアセット管理、利用者の職責や権限に応じたシステムやデータへのアクセス管理、情報セキュリティなどのガバナンス面を統括します。
また利用者であり開発者であるスーパーユーザーの育成や教育も担当します。現在は私たちデジタル化推進マネージャーを含む情報プロジェクト室が担っていますが、省内のDX推進担当者を中心に組成・進化していきたいと考えています。
早川 スーパーユーザーとは日頃、政策立案・効果検証評価など行政官としての業務に携わる一方で、ある程度のデータベース設計ができたり、Gビズフォームで利用すべき適切なコンポーネントを見つけられたりする職員の方を想定しています。業務をわかっている職員が直接開発・改修できれば、デジタル化はさらに加速すると思っています。
ただそういうスーパーユーザーが乱立して好き勝手に開発させる、というわけにはいかないため、品質面、統制面でしっかりとコントロールする組織、つまりCoEが必要だと考えています。
長田 スーパーユーザーは、開発したアプリを利用して業務を行う職員からの改善提案を反映する役目があります。スーパーユーザーを多く発掘、育成するためにもGビズフォームでITを利用する敷居を下げつつ、スキルアップにつながるようなラーニングツールやドキュメントなどの整備も同時に進めています。
ITに苦手意識のある職員の方も、「数週間という短い期間でこういうアプリができるんだ」と実感して、少しずつ操作に慣れ親しんでもらえるといいなと思いながら工夫しています。
―― 職員が業務を進めるバックオフィスにおける働く環境はどのように変えていくのでしょうか。
石井 職員自らが利用するアプリを安全に効率よく、そして継続的に改善する仕組みを作ることが重要です。それにはクラウドを前提とした考え方(クラウド・バイ・デフォルト)が不可欠です。インフラの維持をクラウド事業者に委ねられるクラウドサービスによって、アプリの開発に専念することができます。また、スムーズにサービスをカットオーバーできるようにアプリのリリース自動化などの機能を柔軟に拡充することもできます。
早川 いまでも世間一般的に、情報システムの担当部署から職員や社員に対し、「明日からこれ使ってください」と一方的にシステムを提供し、使いづらくても職員や社員はそのシステムに業務を合わせる形でずっと使い続けるやり方が往々にしてありますが、それは見直す必要があると思っています。アプリの利用者である事業者の皆さんや職員のニーズを反映して改良し、どんどん使いやすいシステムに育てる、という発想の開発プロセスに変える、これもローコードだからできる大きな変革だと思っています。
やはりユーザーファーストが主流の今、行政でも職員の皆さんを巻き込み、ボトムアップで進めることが大切ですね。
長田 まさに「ITの手の内化」ですね。少し先かもしれませんが、アプリやWebポータルの開発を通じて「この業務フローには無駄がないだろうか」「こちらのアプリと連携させれば一度入力したデータを有効活用できるのではないか」といった気づきが職員に生まれるとDXのレベルがもう一段上がると思います。
5.失敗から学んだ教訓を含めてDXの知見・事例を広く知ってほしい
―― これまでの業務を通じて行政のDXを進める上でポイントはどこにあると思いますか。
石井 民間企業でもCoEを活用した取り組みを経験してきましたが、すぐに変革の成果は現れるとは限りません。それまでの業務の慣習や関係者間のしがらみもあります。ただトップの理解と決断、そして職員の方が自ら企画・設計・開発するアプリのユースケースを増やしてそれを広めること。この2つを両輪で地道に進めることがカギになると思います。
長田 前職では複数の官公庁と仕事をしましたが、特に経済産業省の職員はDXをトップダウンで進め、業務を効率よくしていこうと率先して取り組む熱気がありますね。現場の皆さんのモチベーションも全体的に高いと感じます。あとはそこにうまくツールがはまってくれると変革が加速すると思います。
あと、行政機関の特徴として2、3年程度での頻繁な人事ローテーションが挙げられます。これは逆にローコードツール開発での経験を積んだ職員がさまざまな部署に異動することで、ITやデータを身近に職務に活用するマインドが省庁全体に広がりやすい側面が期待できます。
早川 そうですね。また他省庁に先駆けた取り組みの過程で得た失敗・成功の体験や事例、気づきをどんどん積極的にオープンにすることがポイントだと思います。他省庁や行政機関、全国の自治体でも参考にしていただけるとうれしいですね。
誰もがデジタル行政のメリットを得られる社会に――。国民・事業者や職員の声をもとに、職員自らよりよい仕組みに改善を継続できるGビズフォームを通じて、ユーザーの視点に立ったシステムの開発や調達、運用の新しいあり方が世の中に浸透していくかもしれません。